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ピアノの和音が響く。トランペットが天使の声を伝える。
私を包み込む森と、闇を切り裂く光の臭いを運んでくる。
先ほどまで聞こえてきたざわめきは、もう私の耳には届かない。
ううん。ざわめき自体も止まったのだ。
これが、このホールにとっての最後の公演。


一歩、また一歩と足を進める。その度に鳴る木の床。これが終ったら、彼等は壊されてしまうのだろう。思わず表情が暗くなる。闇の中で、私は彼等と一体化していた。
そんな私に、彼等が語りかけてくる。


『最後に、良いものを見せてくださいね』


そうだ。私が暗くなってどうするの。私は、彼らを喜ばせ、満足させなければいけない。それが、私にとっての義務であり、楽しみでもあるのだから。
足元から、徐々に光に晒されていく。
それに合わせて、どんどん私が私になっていく。
脚、手首、腕とウエスト、胸、首元、そして顔。
着飾られてはいるけれど、中身は間違いようもなく、私だ。
私は目をもう一度閉じて、開いた。


そして、彼等にとって最後の、私の世界が、今、


始まる。


―――――――――――――


『祝福』という名の劇がある。
元来は壮大な歌劇『蒼月伝』の中に出てきた、ちょっとした伝説のようなものだった。
時の戯曲作家シェン・ブリーズが、師であるミスター・サイクの『蒼月伝』の上演を鑑賞した際、こう感じたという。
――この伝説を劇にすれば、良いものができるのではないか――
師に直談判し、原稿を書いては幾度もダメ出しされ(ミスター・サイクは筋肉質の男で、原稿を握り潰す癖があるので、訂正には時間がかかるという)、何度も書き直し、ペンだこを何個も潰し、無力感に唇を何度も噛み千切り、そして――
――良いものが書けたな!俺から言うことは何もない!HAHAHA!!――
背中を叩く音と共に送り出された『祝福』は、幕間劇として様々に取り入れられ、上演回数は『蒼月伝』に引けをとらなかった。


―――――――――――――


「見よ!天は我等にこの地を創造する権利を下さった!只今、これより、この地を我等が永遠の楽園とせん!」
大天使である私の声が響き、小さな天使達は舞い踊りながら歓喜の歌を歌う。ギターとトランペットはまるで天に昇るかのように駆け回り、ドラムのリズムで天使はステップを踏む。ベースはリズムの起点になることに徹し、
そして、

タタンタンタタ〜ン!
タタンタンタタ〜ン!

祝砲と共に、天使達は作業に取り掛かる。


ここからは私はしばらくお休み。次の章に行くまでに着替えることになる。


―――――――――――――

《大地の章》

「神よ…………これが我等に与えし試練なのですね………」
祈りの通じぬ大地、生命の痕跡は呪いによって絶たれ、静寂が支配する灰色の荒野が辺り一面に広まっていた。精霊の気配すら、全くしない。通常ならば、その場で悲観に暮れてしまうだろう。………使命に燃えた、力を持つ者以外は。
「………ならば我等は、この試練を乗り越えるのみ!」
天使達は声を揃えて、歌うような声で唱える。
『火の精よ!』
天使達の前に、唐突に現れる火の塊。それは徐々に人の形になり、やがて褐色の肌を持つ大男となる。
【我を求めし者よ………我に何を命ず?】
大男の低く、重々しい言葉に天使達は返答する。
『炎精霊マグナートよ、古きの我らが主神との盟約の元に命ず。この地に、生命の活力を!』
天使の声に、
【………了承した】
マグナートは答え、そして薄らぐように消えた。
すぐさま次の詠唱に入る天使達。
『水の精よ!』
天使達の下より、徐々に青い髪を持つ、布を衣服がわりにした長身の女性が現れてくる。
【召喚者達よ、私に何を望みますか?】
『水精霊ディーヌよ、大古に契りし我が主との誓約の元に命ず。この地に、生命の水を!』
【了解しました】
ディーヌもマグナートと同様に、薄らぐように消えていく。
『風の精よ!』
その声が静まったころ、一陣の風と共に葉っぱが舞い、その葉っぱが一点に集まると、そこから一人の少女が飛び出す。
【印の継承者に告げます。何をお望みでしょう?】
『風精霊フルートよ、汝と結びし刻印の名に於いて命ず。この地に癒しの風を!』
【承りました〜】
風が葉っぱを再度吹き上げ、その葉に紛れて、フルートの姿も消えた。
『地の精よ!』
その言葉と共に、地面の一部が盛り上がる。それが徐々に盛り上がっていき、やがて人の形をとっていく。余分な砂利を自ら払い除けると、そこには立派な体格を持った小柄な男性が仁王立ちしていた。
【我に命ぜよ、汝らが望み】
『地精霊アイクよ、汝を創りし主の名に於いて命ず。この地に豊穣の土を!』
【如意】
その声と共に、アイクは地に再度沈んでいく。
その姿を見届けた後、リーダー格の中天使は同胞達に叫ぶ。
「今、生命を司る四精霊がこの地に宿った!これより、この地に宿る永劫の呪いを伐つ我等が同胞を援護しに向かわん!」
その声が聞こえるまでには、私は既に着替終わっている。
大天使の姿から、聖騎士の姿へと。
そして、私の真の出番が始まる。


―――――――――――――

《解呪の章》

「………呪よ、何故にこの地に留まりて害悪を為す!」
私はその台詞と共に剣を水平に持ち上げ、呪に向けて突き出す。相手を指差すように。
不定形である筈の呪は、その強力な負の怨念が長い年月を経て、一匹の黒龍を作り出していた。私の剣の先端の延長線上には、黒龍の逆鱗が存在している。
『…………無知故の質問か』
黒龍は重々しい声でそう吐き捨てると、哀れむような視線を私に向けた。
「何が言いたい!」
私は剣を突き出す。それに少しも動じることなく、黒龍は告げた。
『我が此の地に止まりし所以は、我を創りし者共の怨念よ』
その言葉と共に龍は息を私に吐きかける。盾で私が防ぐ間に、黒龍は反響する声で続けた。
『我等を滅ぼせし自然を!時を!神を許すな!永遠に!そう!永遠に!』
恐らくは、この声こそが呪いの元凶であり、前の住民の断末魔なのだろう。全身にまとわりつき、闇に住まう民を一人、また一人増やそうとするような声。
私は、その妄執を醜いと思い、剣を振ってその息をなぎ払った。
「………下らんな」
『ほう?』
私は冷たい視線を龍に向けた。
「自らの栄華を満たすために他者を犠牲にし、それが原因となりて自らが滅びたのではないか。逆恨みも甚だしい」
その台詞に対し、黒龍は首を巡らせ、哀れむような視線を私に返した。
『ほう?では汝らはそうではないと』
「無論だ」
『何故そう思う?その根拠は何処に在る?』
龍の口調が愚かしき者を嘲る様なものに変化する。
「―――私が此処にいる、それだけで十分であろう?」
『は、それが思い上がりというのであろう!』
「―――気付かぬのか」
『?何を気付くというのだ?汝が戯言を抜かしており、我を滅ぼさんと欲している事以外に気付く事など無く、その必要すらないわ!』
これ以上口で争っても仕様がなかった。相手は、かつての私達の亡霊なのだから。
その台詞が終るのと同時に、私は後ろに跳ぶ。黒龍が息を吐くと、その息から私と同じ格好――但し色は黒基調――をした人物が現れた。
『汝の分身だ。果たして勝てるかな?』
ギターソロが始まり、相手が私に剣を振り下ろしてきた。私はとっさに剣で受ける。
二人の応酬は、クラッシュシンバルの音と同時に激突する剣によって彩られる。
そしてそれは、当然のごとく終演を迎える。
『グッ!』
私が横に跳んだ瞬間、勝利は確定した。
呪によって創られた私の分身の持つ剣は、'私'の持つ聖剣と打ち合う事によって徐々にその性質が変わっていった。その剣が、龍の逆鱗――その裏に在る急所――を貫いたのだ。
『…これが、…汝らの、…か。…だが、忘れるな………我は汝と共にあり、何時でも爪を研ぎ、牙を研き、汝の首を狙っている事をな!』
断末魔の叫びと共に、聖剣の刺さった逆鱗から煙を立てて消えていく黒龍。下からもスモークが出て、黒龍を覆い隠し、やがてその場に残ったのは大天使、つまり私と、私の持つ聖剣だけであった。
「………元より自惚れなど、我等が抱く筈もない。抱いたが故に滅びた同胞を何人も知っている。
もし主が自惚れる様な存在であるなら、元より我等の自在になどさせないだろうに。
汝らは守るために傷付けてきたのだろう。そしてそれを繰り返してきた。それも時には必要だ。だが、そればかりでは、畢竟滅びるのは目に見えている。折り合いの時を定められなかったのが、汝らの――いや、我等の滅びし原因だ」
長い――実際には十秒ほどだが――沈黙ののち、'私'は剣を天にかざし、唱える。
「――赫き土、蒼き月、漣、予言者、ネクタル――」
そして、
「古より伝いし風よ!我が剣に集いてこの地を束縛せし呪鎖を断ち切れ!」
気合い一閃、私は聖剣を地面に突き刺した。


ここで舞台は暗転する。

―――――――――――――

明るくなったとき、舞台の様子は一変していた。
野には花が咲き乱れ、青空が広がり、風が心地良く吹き付ける。
そして、劇の開始と同じファンファーレ。


「今ここに、我等が楽園の種が芽生えた!だが、花が咲くまでにまだ幾世紀もかかる!
我々は、その花を咲かせ、未来永劫続く楽園を創るために!



嘗ての過ちを決して繰り返すな!」


タタンタンタタ〜ン!
タタンタンタタ〜ン!
タタンタンタタ〜ン!
タ〜ンタ〜ンタンタタンッ!


―――――――――――――


――――祝砲と共に劇の幕が降り、外からは拍手の音が響く。
私は額の汗を龍の中にあるタオルで拭うと、化粧の施された唇のまま、舞台に口付けをした。



歩く度に響く床の軋む音が、私に―――私達にありがとうを告げているようであった。



fin.



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